戦いの発端
鳥羽・伏見の戦いの発端となった情報について。
明治維新史における決定的な画期となった鳥羽・伏見の戦いの直接のきっかけは、1867年(慶応三)12月25日払暁の江戸薩摩藩邸焼討ちの知らせが同月28日に大坂城の徳川慶喜の下に届いたことであった(『徳川慶喜公伝』)。
この知らせはおそらく早飛脚で江戸からもたらされたものに違いあるまい。
薩摩藩大坂留守居役木場伝内が1月1日に京都の西郷隆盛へ出入商人からの探聞書として伝えてきたところによれば、「右戦争中幕府ヨリ当御城へ御注進相成、未勝負ハ不相分ト申御文通ノ趣、右二付昨夜御評議之上、来ル四五日比ニハ御上洛相成」ということで、大坂城へ事件を知らせる江戸25日発の手紙が届いたので、上洛すべしとの議論が沸騰しているといいます。